一般論として、
「頭がいい方がいい」
「能力は高い方がいい」
「優秀な方がいい」
と言われることがありますが、
実は、とびぬけて優秀な人の場合、それによる副作用も存在します。
それは、端的に言えば、
「相手に警戒されやすい」
ということです。
特に、実年齢が若い人で優秀な人の場合は、この辺りで苦労する場合も結構あります。
相手から見て脅威に映り、避けられがちです。
そのような人は、自分と同レベルと思われる集団であれば、もちろん馴染みやすいのですが、
そのような集団となかなか出会えない場合、
「相手から避けられる」
「相手から警戒される」
といったことが起こります。
特に、
集団の1人として迎え入れるか否か
という判断においては、
いくら優秀であっても、
「この人を入れた時に、我々がついていけるのだろうか?」
といった懸念を生じさせるのです。
そして、本来ならば無害なタイプの人であっても、
なかなか相手に受け入れてもらいにくい
といったことが起こります。
そのような人がアピールするべきは
「自分が如何に優秀な人間であるか」
といった要素ではなく、
「自分が如何に他人と協調して何かを成し遂げてきたか」
といった、協調性に関する要素でしょう。
すでに優秀なことが相手に伝わっている人の場合、さらに強く優秀さを強調することは、
数学を既に満点である100点とっているのに、さらに点数を伸ばそうと躍起になっているようなもので、
相手にとっては響かない場合があります。
むしろ、弱点と思われている点につき、
「その部分も問題はないですよ」
ということを相手に伝える方が有効だったりします。
一般的に、優秀な人の方が今の世の中を生きやすいと思われがちですが、
こういった場合においては、優秀さが仇になる場合もあります。
いつもと同じような戦法が相手に通用しないと思った際には、そのままい、今までの自分のやり方に固執して、ゴリ押しするのではなく、一度立ち止まってみて、
「もしかして、別の方法を考える必要があるのではないか?」
ということを考えてみると、一気に事態が打開できることがあります。