よく、自分のことを知ることが重要、だとか、
自問自答してみることが重要だとか、言われますよね。
就活などでも、
「今までの自分を振り返ってみましょう。そこから自分がやりたい仕事を考えてみましょう!」
などとアドバイスされているところを見かけます。
このようなことを言われて、
はて?どうだったかな?
と考えてみるときに最初に何をするでしょうか?
取りあえず、今までの自分を頭の中に漠然と思い出すところから始める人がほとんどだと思います。
つまり、自分の中の「記憶」に頼るわけですね。
しかし、記憶というのは非常に曖昧な物ですし、エピソード記憶にともなう感情の動きに印象が非常に左右されます。
しかも、記憶が昔であればあるほど曖昧になったりします。
例えば、2011年3月11日は日本において東日本大地震があった日なのですが、この地震があった当時に自分が何をしていたのかを思い出しやすい人はある程度の年齢の人であれば、多いと思います。
やはり、大地震があった日というのはいわゆる非日常ですし、その分強烈な印象になるわけですね。
しかし、例えば、2011年5月18日などはどうでしょうか?思い出せますでしょうか?
例えば、5月18日が友達の誕生日であるというような意味のある日であった場合であれば思い出しやすいと思われますが、しかし、そのような事情がなければ思い出すのはかなり困難ではないでしょうか?
このように、記憶に頼ると、自分の認知・感情に左右されたりしてしまいます。
実際には、2011年5月18日に行っていた自分の行動というのは今の自分に繋がる重要な行動があったかもしれないですが、しかし、記憶しか辿れない状態で全く思い出せなかった場合にはそれを事後に検証することすらできません。
したがって、記憶に頼らず記録に頼る、という視点が重要になります。
記録、なので、データ、ですね。
例えば、メールの送受信記録でこの日に自分が何のメールを送ったのかを調べることは場合によっては可能ですよね。
そこに書かれた内容から自分が当時何をやっていたのか、より詳細に思い出せるようになる人もいるでしょう。
また、日記などもかなり重宝します。
その時の出来事とともに自分の感情が書かれていたりするので、記憶が想起されやすいのですよね。
↑でも、まずは行動記録から始めると良いと書かれています。
これによって、自分のパーソナルデータを自分の手元に残しておくことが可能になります。
データというのは現代社会では「資産」であります。
数多の企業がマーケティング戦略のために顧客のパーソナルデータを求めています。
そして、このパーソナルデータの期間の長さと、その中身の濃さがデータとしての情報価値につながるわけです。
そして、それを色濃く残しておくことによって、自分のことをより深く知ることが可能になるのです。
そして、そのパーソナルデータの蓄積を後から見返すことによって、今までの努力の振り返りや、
それに伴って生じる今後の方針の決定に大きく寄与します。
また、このパーソナルデータの集積がいつしか「自分史」という大作に昇格する可能性をも秘めています。
しかし、その自分の人生を送って、その記録を克明に残す事によってそれが一つの「自分史」として、一つの小さな物語となり、一つの何者でも無い個人にとっての個性的な資産となるのではないか、そのような自分史を日々の中で編纂し続けることが、個人にできるまさに一生をかけた最大の資産形成ではないか、と考えるのです。
引用:個人ができる最大の資産形成は「自分史」の編纂
したがって、まずそのための第一歩として、
記憶に頼るのでは無く記録に頼る
という視点が現代社会では重要になってくると思われます。
「自分史」になるレベルまでパーソナルデータを積み上げることができれば他人に自分のことを紹介したり、表現したりする際にもこれを使いやすくなり、コミュニケーションにおける時間短縮に繋がります。
これはコミュニケーションコストを下げることに繋がるでしょう。