現代社会において、日本では20歳前後の人は「就活」という人生の一大イベントを乗り越えることが多いようです。
「就活」というのは就職活動の略なので、
企業などを始めとした勤め先に対して自分自身という労働力商品の営業活動をすることと言えそうです。
どこかの企業に所属して働くと言うことは、自分自身という労働力を商品化してそれを勤め先に売ることによって賃金、給与という形で対価を得ているわけですね。
勤め人は勤め先に自分自身の時間、寿命を費やすこととなります。
勤め先からしてみると、1年間365日土日祝日も休むことなく、一日24時間働いてくれるという高品質な労働力でかつ対価としての賃金が低い商品が手に入ると非常にありがたいという話になります。
それだけにとどまらず、若いうちから自分の所にずっと長い間働いてくれて活躍し続けてくれるとさらに嬉しいという話になりそうです。
一方で、勤め人の立場から見ると、労働力商品を勤め先に売るということはこれからの自分の長い人生を賃金や給与などを初めとする報酬に変換する行為となります。
したがって、どうせ自分の長い人生を労働に費やさないといけないとなるとより高い報酬を求めることとなります。
こうして若いうちには「就活」というイベントにおいて両者のマッチングが行われることとなるのですね。
そして、多くの人は自分自身という労働力以外の商品を持っていないことから、どこかの勤め先には労働力商品を売却する必要がある場合が多く、相対的に不利な立場に置かれやすいです。
自分自身が望む最良の条件で労働力商品が売却される、例えば第一志望の企業に内定をもらえると(内定をもらえた瞬間は)ハッピーな気持ちになりますが、
逆に、自分が望んでいた企業から内定がもらえない、全て断られたとなると多くの人は心の痛みを感じます。
したがって、多くの人はより労働力商品を良い条件で売却するために、頑張って勉強して高学歴をゲットしに行ったりします。
高学歴の最大の利点はアピールが非常に簡単なことにあります。
商品のパッケージにおいて「○○産です!」などといった品質保証の文言が書かれていたりしますが、高学歴は労働力商品においてこのような品質保証のような役割を持っています。
「○○産です!」とパッケージに本当のことが書かれていたとしてもその商品が自分にとって本当に良い商品なのかは正直はっきりしませんが
「何も書かれていないよりはマシだろう」
と多くの人は考えるはずです。
また、「学歴は自分のこれまでの努力の証」と宣う人が居るくらいですから、
「就活」という短い時間のイベントにおいてそれまでの長い時間をかけて生成された自分自身の努力の結晶を学歴という形の表現物に変えているという見方もできそうです。
逆にそのような、端的な表現物、わかりやすい魅力を持っていない人は他の方法を考えるしかありません。
いずれの方法をとるにせよ、準備に時間がかかってしまうという意味ではほとんど変わらないということを考えると
多くの人にとっての「就活」すなわち労働力商品の「命がけの飛躍」の場面というのは、他の100円の価格がついているような適当な商品の「命がけの飛躍」とは根本的に異なり、
自分自身のこれまでの人生そのものがよりよく売却できるかどうか、誰かに適切に承認されるのかどうか
を計る重要な場でもあると言えそうです。
高学歴を頑張って取っている人の中には家庭内などにおいて
「一生懸命勉強する→高学歴をゲットする→良い企業に就職する→将来安泰!幸せ!」
という幸せに向かうシナリオを進むことを期待され、その期待に答えるべく長い人生を賭けて努力を続けてきたという人もいます。
しかし、現実はこの矢印の通りに進むことは、そこそこ成功確率は高いのではないかと巷で言われているだけで別に誰も保証してくれていません。
したがって、高学歴をゲットしていても何らかの理由で「良い企業に就職する」というところに辿り着けない、すなわち就活失敗という状態になることもあります。
こうなってしまうと、上に提示された
「一生懸命勉強する→高学歴をゲットする→良い企業に就職する→将来安泰!幸せ!」
という親などから言い伝えられてきたシナリオが途中で壊れてしまい、どうすればいいのかわからなくなってしまうのです。
しかも、
「一生懸命勉強する→高学歴をゲットする」
に20歳前後の人は人生のうち多くの時間を費やしていたりすることもあるため、
自分が長年にわたって見込み生産をしていた労働力商品が遂に適切に売れなかったとして自分自身の人生を否定されただとかそういったことを考えてしまいがちなのですね。
就職失敗を苦にして若いうちに自ら命を絶つ人もいるようですが、そのような行動に出るくらい就活失敗というのは
①あったはずの幸せに向かうシナリオが途中で崩壊してしまった
②自分自身の人生が承認されていない
と感じやすく、多くの人が心の痛みを覚えやすいのではないか、と考えています。
ここまでずっと暗い話ばかりを続けてしまいましたが、何が言いたいのかというと、
①②を上手く解消する、乗り越えることができれば、就活失敗による心の痛みがあったとしてもそれはある程度軽減されるのではないか
ということです。
例えば、
「一生懸命勉強する→高学歴をゲットする→良い企業に就職する→将来安泰!幸せ!」
というシナリオが
「一生懸命勉強する→高学歴をゲットする」
の段階で就活失敗によって止まってしまって
「もうどうすればいいのかわからない・・・・・・」
という風に陥ってしまった場合であっても、
「一生懸命勉強する→高学歴をゲットする→○→将来安泰!幸せ!」
の○の部分を埋めることができればよいという考え方が可能です。
色々と探していくと、就活に失敗してしまった人であってもそのような経験をバネに最初から起業してしまったりすることによって勤め人の世界とは違う形での幸せを掴んでいるという人も存在します。
そのような人を探して○の部分を埋めるための参考にするのが良いと思います。
また、②の就活失敗によって自分自身のこれまでの人生が承認されていないような気持ちになってしまうという点についても、
労働力商品の「命がけの飛躍」以外の方法で誰かに自分を承認してもらう方法
が存在したりします。
例えば、起業している人は勤め先に頼らずに自分自身を世の中の誰かに承認してもらえているわけですね。
このような取り組みは勤め人であっても副業で一応可能ですが、これによって毎日が楽しいと感じている人もいるようです。
多くの人はこのような労働力商品の「命がけの飛躍」というイベントを行うことを想定して生きており、その失敗を恐れてしまいがちですが、
このような事を行わなくても実は幸せに通じるシナリオは一応は存在していると予め知っておくだけでも心は軽くなると思います。