最近、再び休息の時間のタイミングにスマホをいじっている自分に気づいてしまってため息が出ることが多いです。
前はyoutubeを見ている時間が多かったのですが、youtubeのアプリを削除したのは良いものの、いつの間にかLINEを見まくっている時間が長いことに気づきました。
スマホにはたくさん誘惑があるようで本当に大変です。
ここ数日間、一旦スマホを隔離して物理的に手に触れないようにすることを試みているのですが、それでも禁断症状が出てきます。
何か刺激が欲しいと思った時に真っ先にスマホを手に取りたいと考えてしまうようになっているようです。
そして、新しい刺激を探そうとしても、難しい本などを読んでしまうとものの数分で「スマホを触りたいな」と感じ始めてしまうのです。
もしかしたら、スマホ世代の私はこのままこのような人生を送る羽目になってしまうのではないか
と考えてしまって軽く戦慄を覚えます。
ここまで、身近に簡単に刺激を得ることができるデバイスがあることは、コロナ禍の自粛要請の下ではある意味よいことなのかもしれませんが、スマホで直接得られる刺激というのは時間をつぶすために使う物でもあるので、時間管理の観点から行くと第4領域、重要ではなく、緊急でもないことにあたります。
時間を、寿命を有効活用したい私としてはかなり由々しき問題です。
理想を言えば、第2領域である重要かつ緊急ではないことに時間を使うべきであり、むしろこちらの依存症になるべきなのですが、なかなかなりません。
もしかしたら、より良い人生を送りたいという気持ち自体に切迫感が足りないというか、危機感のようなものが足りないのかもしれません。
思えば、確かに、社会人になってからしばらく働いているので、勤め先の仕事については慣れてきたところもあり、金融資産の形成も順調に進んでいることからある種の緩みというか、これ以上何を望むの?みたいなところが少なからずあるのかもしれません。
また、望むだけにはとどまらずにその思いが本当に切実なものなのか?ということもあると思います。
何か危機感を感じるべきと思わせる情報が今の私に欠けているということを改めて感じます。
明日には必ず死んでしまうと宣告されたら人間は本気にならざるを得ないと思いますが、おそらく今の私にはそのような感覚がまだないのでしょう。
そもそもの話、人間は本能的にそういう風に感じるところもあるようですが、このような本能を乗り越えなければならないのではないか、と思っています。
もう少し、この辺りの情報収集について根本的に足りない点がないかどうかも含めて改めて検討する必要がありそうです。