私たちは何か重大な問題に立ち向かう時、
何か大きなコストをかけなければならない
と思いがちです。
例えば、
「ダイエットをしなければ」
と考えた人の中には、
「それなりに高くてもジムに通わなきゃ!」
「食事制限を頑張らなきゃ」
「値段がかなりしそうだけど、エステとかに通わないといけないのかな」
「筋肉をつけるための専用の器具とか必要なのかな?」
などということを想像しがちですし、
難関資格に挑戦する際には、
「やっぱり、高い学費を支払ってでも、専用の予備校に通わないと厳しいかな?」
とか
「やっぱり、高い学費を支払ってでも、専門学校に通わないと身に着かないのかな?」
といった多大な教育費の事を想像するでしょうし、
「モテるためにまずは見た目を良くしないといけない!」
という人の中には、
「整形手術でなんとかしないと厳しいかもしれない」
とか
「コスメや服は思いっきりお金をかけて高級にしておかないといけない」
といったことを想像しがちです。
上記のように、
問題解決のために大きなコストをかけなければいけない、大きなコストをかければ問題はスムーズに解決するかもしれない
といった発想になりがちなのですね。
しかし、実際には、
高いお金を払ってエステを支払っても、普段の食事が改善しなければダイエットは成功しませんし、
高い学費を支払って予備校に通ったところで、授業以外に勉強する気力が湧かなければなかなか合格には近づきませんし、
高いお金を支払って整形手術に成功したとしてもその結果好みの相手がそれを好んでくれるとは限りません。
「大きなコストをかければさすがになんとかなるだろう」
などとついつい考えがちですが、
実際には、
少しでも食事に気を遣う
少しでも長く勉強する
少しでも他人に関心を持って接し方を変えてみる
といった、「しょぼそう」な努力や工夫によって問題解決に少しずつ近づく、ということがあるものです。
そのため、
「そこまで大きなコストを支払うことはできない、無理だ」
と考えて問題解決を諦める必要はないのですね。
確かに、大きなコストを支払えないことを理由として、時間はその分かかるかもしれませんが、着実に目標達成へと距離を縮めることが可能です。
むしろ、
「大きなコストを支払うのは難しいかもしれないから、何か小さな工夫でなんとかできないだろうか?」
と考えた末に妙案が出てくることがあり、
「この問題解決のために大きなコストが必要だと思っていたが、実は必要がなかった」
ということが判明することもあるのです。
一般論は一般論でしかなく、個々人の状況によって工夫次第で事態を打開できる可能性があるのですね。