以前、コミュニケーションは量で決まってしまうと言うことをテーマに記事を書きました↓
自分の時間を使わずになるべくコミュニケーションの量を増やす方法を考えること
が重要になるとここでは結論づけています。
これは波及効果の高い方法論を使用した方がいいよねって話です。
そして、コミュニケーションとして意思伝達の量や速度を高めれば高めるほど相手に情報を与えることができますね。
これとの関係で手っ取り早く相手に自分の情報を与えたり印象づけることが重要になってきますね。
すなわち、コミュニケーションにおいて自分の時間というコストを減らす行為、コミュニケーションコストを下げる行為を意識的に行うことも重要になってきます。
そして、コミュニケーションコストを下げるために一番手っ取り早い方法は、やはり
見た目を良くする
ことにつきます。
やはり、と思いましたが、人は見た目が9割という言葉が流行ったとおり、
やはり視覚情報は偉大です。
視覚情報というのは素晴らしくて、目が良い人であれば遠くにいる人であってもその視覚情報をゲットすることができるようになります。
したがって、一度も会話をすることが無くとも相手に印象を与えることができます。
やはり、わかっていましたが、この威力は絶大です。
対面でのコミュニケーションでは間違いなく一番大きな影響力を持っています。
何よりも会話をすることが無くとも相手に好印象を与えられるというのは、その分良い印象を他人に与えるためのコスト、具体的には必要とされる自分の時間を激減させることができます。
別に八方美人になりたいという気持ちが無くとも、良い印象を与えたい人に手っ取り早く良い印象を与えるためにはやはり視覚情報から入るのが一番です。
もちろん、これは容姿がもともと良い人の方が有利であることは間違いないのですが、
意外と効果的なのは色のセレクトです。
色彩心理学という分野があるように、人は色から受ける印象から結構左右されるようです。
特に、遠くから見た場合の情報は、顔の善し悪しと言うよりは全身の印象に左右されることから、服の色などは結構見た目の印象に影響を及ぼすようです。
衣食住、という言葉がありますが、
この中の、衣については、相手に何らかの印象を与えるのに強い効果を発揮しているという意味で、社会資本の形成に大きく影響を及ぼしていると考えられます。
正直、前までは、私の中で衣食住の中で衣というのは「食」や「住」に比べてそこまで生存に直結しないのではないかと思っていた節がありました。
しかし、衣というのは見た目を司っていることから、社会資本の形成のためかなり強い要因になっていると言えそうです。
例えば、政治家などは選挙戦略のためにこの色の力などを意識的に使っているようです。
見た目が選挙結果に影響するからですね。
特に、赤色などを使うタイミングを図っているようです。
見た目はこのように視覚情報に訴えるものですが、他の五感も重要ですね。
聴覚や嗅覚なども遠くからでも把握できます。
例えば、電話口の声が良い声であれば、姿形が見えなくても良い感じの人だなと思ってしまいますし、
廊下で誰かとすれ違ったときに良い匂いがすれば、自然と相手に良い印象を持つことになります。
逆に、タバコの匂いがすごい人や加齢臭がする人などは、たったそれだけで印象が悪くなってしまうのですから恐ろしい話です。
このように、全く会話をしなくても相手に自分を印象づけることが可能であり、しかも多数の人に印象を与えることができるようになります。
このような意味で、いわゆる身だしなみに気を遣うという行為は、コミュニケーションコストを下げて自分の時間を最大限節約しつつ社会資本の形成に役立っていると言えそうです。
あまりにも気にしすぎてしまうと逆にノイローゼになってしまうので難しいところですが、
この辺りを平均点以上それぞれとれるようになれば色々生きるのは楽になってくると思われます。
というのも、いざというときに頼りになるのはお金、金融資本では無く、やはり人間、社会資本だからです。
災害時などにお金を握っていただけでは意味が無かったりしますからね。ぼったくられるだけです。
最終的には、社会資本をより良くする、すなわち人間関係をメンテナンスしてより良い関係を自発的に自分の意思で創っていくことが幸せのためには重要になってくると思われます。
これと関連して、コミュニケーションコストを下げる方法としてもっと有効なのは、いわゆる
高学歴をゲットする行為
や
有名企業に勤める行為
も含まれると思われます。
特に、高学歴についてはゲットすれば一応一生名乗ることは可能です。
たまに卒業した学校が数十年後に凋落してしまい、むしろ馬鹿にされてしまうというリスクもありますが、
しかし、卒業後も出身学校を名乗るだけで、一定の学力があるという印象を相手に与えることができます。
日本では義務教育によって中学までは卒業している人が多いとは思われますが、
高校以降となると卒業した学校によって期待される学力というのが一瞬である程度相手に伝わりやすいというメリットがあります。
また、有名企業に勤める行為も、社会的地位を有していることをアピールできるという意味で一応有効です。
近年は、学歴や有名企業に勤めることは意味が無いといわれることが多いのですが、飽くまでそれは稼ぎに、人的資本には直結しないのではないか、という話に過ぎず、
相手に自分が社会的にどのようなポジションを取りうるのか、というのを相手に手っ取り早くアピールできるという意味で、社会資本に直結しやすい要因だと言えそうですね。
FIREをした人の中にも有名大企業に勤めていたことを名指しであげている人もいましたが、そのような行為も手っ取り早いアピールの方法として有効ではあります。
後は、TOEICの点数なども有名でしょうか。
いずれも、実際の仕事の能力としては意味あるの??などと疑いをもたれてしまっており、錯覚資産などと呼んでいる方もいるようですが、
この錯覚というものの内実は、
稼ぐ力に直結はしない、すなわち人的資本は形成できないけれども、社会的なポジションをアピールすることにより社会資本の形成に資するからそこからチャンスを掴むことができるよ!
という意味になりますね。
ピンチもチャンスも人が運んでくる物なのですから、やはり負債にならない(ピンチばかりを呼び込まない)社会資本の形成をどこかで意識する必要があるわけです。
もっとも、今回ここで紹介した方法論というのはいずれも当たり前のことでしたが、
しかし、何も考えずにその当たり前を受け止めてしまうと、
「学歴が高くないと人生が詰んでしまう・・・・・・」
「有名企業を辞めたら皆にどう思われる???」
「自分の見た目に自信がない・・・・・・・」
などと過度に他人の目線を気にしてしまい、結果、社会資本を形成させるための一手段にしか過ぎないこれらの要素を過度に重要視してしまうことにつながってしまいます。
しかも、これらの要素は、みんなが興味があるという意味でも恐ろしいのは、需要が上がってしまうが故に、やたらと金や労力がかかる存在になる点です。
教育費はやたらと高いですし、就活のためにかかる労力や、職場の人間関係を完璧に維持するための労力や、美容に気を遣うための額も高額になりがちです。
これらは人気があるが故に、競争が激しくなってしまうために起こってしまう現象です。
そして、これらのことに引きづられてしまうと、本質を見失ったままにお金と時間がどんどん吸い取られていきます。
このような危険性があるのです。
結局、みんなが重視したがる物というのは、 社会資本を形成させるための一手段、としては価値があるのですが、逆に言えばそれ以上の価値は本質的にはあまりないと感じます。
喩えるならば、偏差値は53ぐらいでも十分ではないか、と感じるところです。
しかし、この偏差値53、すなわち「普通よりもちょっと上かな?レベル」をあらゆる分野で押さえて置くと、もはや普通の人では無くなります。
下手に一つの分野で偏差値70以上を目指して消耗するよりは、あらゆる分野で、「普通よりもちょっと上かな?レベル」を目指しておくと、割と安定感のある人生を送ることができるのではないか、と私は考えています。
一つの分野で偏差値70以上を維持し続けるのも大変ですからね。
このようなある種の割り切りのようなものも重要になるかもしれませんね。
やはり何度も強調しますが、自分の時間というのは有限な貴重資源なのです。
それを何に対して使用するべきかという根本的な問題意識から出発すれば、このような世間一般のものさしに振り回されすぎなくて済みます。
そして、バランスのとれた選択が可能になるのです。