特に、歯に異常があるわけではありませんが、私はおおよそ一ヶ月に一回歯医者さんに定期検診やお掃除をお願いしています。
予防医療ですね。
かなり健康な歯をもっている人は3ヶ月に一回ぐらいで十分かもしれませんが、私の場合はもともと虫歯になりやすい体質ということもあるようで、油断してしまうとあっという間に虫歯になりやすいそうです。
そのため、一ヶ月に一回、歯のことを意識せざるを得ません。
歯の検診日が近づいてくると、歯磨きの最中に、歯のことを強く意識することになります。
前回指摘されたところは、上手く磨けているか、他に違和感はないか、、、
そのようなことを思って、いざ、検診に行くと、「前回よりも歯の状態が落ち着いていますね」と言われたりするので、これが地味に嬉しいです。
意識していなかったら気にならないのかもしれませんが、意識して歯医者さんに行っているので、努力が認められている感じがするのが良いのでしょうね。
このように、地味な形であっても意識していたり努力していたりすることが認められるととても嬉しいですね。
これは仕事などでも一緒だと思います。特に毎日やっているとないがしろにしがちな部分ですが、毎日とは言わなくても一ヶ月に一回ぐらいはこのような形でポジティブなフィードバックをもらえると人は進歩している、成長している、という感覚になり、もっと仕事を頑張ろうという気になるようです。私の周りの人を見ていても、このようなシチュエーションがある人はやる気に満ちています。
家で言うと、家事・育児なども似ているかもしれません。毎日誰かにやってもらえているとそれがあたかも当たり前のようになってしまうところもあり、わざわざ「いつも綺麗にしてくれてありがとう」などということもなくなってしまうかもしれませんが、言っている人は言っているところでもあるので、このあたりのポジティブなフィードバックを意識的に行える人というのは相手との関係も良好になりやすいようです。
要は、適切に相手の努力を褒めることができる人、というのは、他の人がめんどくさがってこれを怠っている分、適切に相手の努力を褒めることができる能力がある、実際に行っているという点で、一歩どころか数歩も秀でている、ととらえることもできるでしょう。
歯医者の例で言うと、シチュエーションの前提として、私は特に歯の異常が無くても通っているということを前提に考えると、歯医者さん側もよく考えると、歯についてある程度意識して通ってきている人なんだなということが分かっていると思われます。ここから私の歯の状態を見て実際に進歩があれば、褒めることが可能です。
仕事の上で、「お客さんが上手くできていたら褒めてあげましょう」というようなマニュアルや社内研修を行っているところはそれなりに多いと思われますが、これに加えて、どれほどの人が、同僚や家族、友達に対してこれを行えているのかどうか、と考えると正直かなり微妙でしょう。
むしろ、大してやってくれと指導されない分、個々人の意識が強く反映されることになると思います。
そして、このポジティブなフィードバックを誰に指導されなくても、言われなくてもできる人というのは、同僚や家族や友達とも良好な関係を築きやすいでしょう。
これはまさしく、コミュニケーション能力の一種だと言って良いでしょう。相手に関心が無いと上手く褒めようがないわけですが、この能力がある人はこの点もしっかりとクリアしているわけです。
現実的には、相手が普段何を頑張っているのか、何を意識的に努力しているのか、ということを見極める能力というのが前提条件として上がってくると思います。
自分のことで精一杯という人は、相手のそのような点まで関心が及ばないため、見極めるも何もそもそも分析しようともしていません。
そのように考えていくと、まずは、自分における余裕を取り戻す必要がありますね。
自分における余裕が無い人というのは、自分がやらなくてはいけない(と本人が思っている)第1領域や第3領域に頭の中が占拠されている状態です。
この第1領域や第3領域の中に、同僚や家族や友達などの仕事上の義務がない人物を褒めることという要素は大抵の人は入っていません。このような行動は緊急ではないが、重要であることである第2領域の範囲になるので、後回しに、先送りにされがちなのです。
よって、普通の人がやるべきは、まずは時間管理の観点から第1領域や第3領域を片付けて、第2領域に意識を向ける、ということが何よりも重要ですね。
このような視点がないと、このような文章を読んだところで一瞬「まあ、そういうことも頑張った方がいいよね」とは思いつつ、2秒後には完全には忘却の彼方に行くでしょう。
根本的には、同僚や家族や友達と良好な関係を何故築き上げなければいけないのか、そのための動機は自分の中にしっかりと持てているのか、という点が大事になってくると思います。
そもそも、人間関係をしっかりと築き上げた方がいいよねと思いつつも、それに対する切迫感がない以上は、人間は特に努力をしようとも思わないでしょう。
しかし、放置ゲーのように、スマホを放置しておくだけで、中身のキャラクターが勝手に育成されていく、というようなことは人間関係においてはほとんどありません。
何かがなければ人間関係は深まらないわけです。
そして、その何かを起こすのを自分がやるのか、他人任せにしてしまうのか、という点で主体性が問われるのでしょう。
当然ですが、自分からことを起こそうとしている人の方が実際に何かイベントが起こる可能性、頻度が高まりやすいです。他人任せにしている人は他人が何かを起こしてくれるのを待つばかりになり、人間関係が醸成される機会も必然的に減ります。そして、いつも何かを企画してくれているその他人が目の前からいなくなった瞬間に打つ手無し、という状況に追い込まれるでしょう。こうやって人は徐々に孤立、孤独になっていくのです。