「安定」
や
「安全」
といった言葉は、今に始まった話ではありませんが、大変人気があります。
「安定しているから公務員がいい」というセリフはよく聞きますし、
例えば、
「勤め先から来月の給与が支払われない、といった事態になるのは困る。変なところではなく安定して給与を支払ってくれる勤め先じゃないと嫌だ」
と感じている人もいるでしょう。
「安定している」
というのはそれだけで大きな価値があるのですね。
しかし、それゆえに、
「安定」
というのは、人気ゆえに、「お高い」存在にもなります。
具体的には、
やたら競争率が高くてなかなか手に入らない
ということかもしれないですし、
手に入れるために大きなコストを支払わなければならない
ということかもしれないです。
例えば、雇用契約には、勤め人を守るための様々な保護がありますが、
その強力な保護があるばかりに、
「そもそも雇用契約を結んでもらえない」「お祈りされた」
とか
「毎月の給与がなかなか高くならない」「全然年収が上がってくれない」
といった現象もしばしば起こります。
その一方で、そのような保護がない領域においては、
雇用契約ではめったに見られないような高額な報酬を支払ってもらえるといった契約内容もあり得ます。
「手厚く保護してもらえる」
とか
「安定を約束してくれる」
というのは一見すると良いことのように見えますが、その実態をよく見ていくと、一概に良いことであるとは言えないのです。
とはいえ、
「それでも安定が欲しい」
と考えているとすれば、
そのような人は、少なからず、
「安定を求めざるを得ない」
という状況に置かれているのですね。
その一方で、世の中には、
「わざわざ安定を求める必要がない」
という状況にある人もいます。
最初からそういう状況にあった人もいるでしょうし、後天的にそのような状況を自ら作り上げた人もいます。
そのような人は、
何かしらの「安定」がもたらすコストやデメリットが許容できなければそれを無視することができる
という強みを持っています。
この強みは「選択肢がある」という意味でかなり強力なものです。
もし、無意識のうちに、
「やっぱり安定が欲しい」
とついつい考えてしまう人の場合、
「どうすれば、わざわざ安定を求める必要がない人になることが可能なのだろうか?」
ということを一度考えてみてもいいかもしれません。